「蝶の季節」(5)

エッセイ

危ない綱渡りのような日々を何とかしのいできた

ブログの文章を書くようになって、自然これまで歩んできた道を振り返ることになり、改めて危ない綱渡りのような日々を何とかしのいできたことに、自分でも感心している。

私は三十歳近くなって田舎から東京へ出てきたが、何の当てもなかった。母の製パン工場の事務を手伝いながら、失業保険を掛けてあったから、それをもらいながら六か月の間に勤め口が見つかるだろうというくらいの気持ちだった

が、学歴も経験もコネも、特別な技能もない、その上東京の地理もよく知らない女を雇ってくれるところなど、どこにもなかった。雇ってくれたとしてもそれで生活できたかどうかは疑わしいが、とにかく職探しをしても無駄なことはすぐわかった。

それでこれまで通り、地方の民放局のラジオドラマを書かせてもらいながら、テレビの穴埋め番組の仕事を回してもらい日を送っていた。

「文学界新人賞」をもらってからも、私の貧乏物語は続いていた。

小説を書けば少しはお金を稼げるかと期待していたが、受賞第一作を掲載してもらえたのは半年後で、その原稿料が一枚三百円で啞然とするしなかった。

NHKをもじって「日本薄謝協会」と言われていたNHKのテレビドラマの原稿料は一枚千円だった。それでも安いと思っていたが、その三分の一にも足りないのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました