「丸高万柳」(1)

エッセイ

それで誘われるままに少女小説を書き始めた。

テレビドラマの放送が始まった昭和30年頃は一枚千円という原稿料は、まずまず妥当な線だった。

が、その後、所得倍増などと言って給料は上がったが、稿料は元のままで格差が広がったのである。

が、純文学系と言われる小説の原稿料がこれほど少ないとは思ってなかった。「文学界」などわずかな部数しか出てないことを知らなかったのだ。

それで誘われるままに少女小説を書き始めた。

当時はジュニア小説と言って、中・高校生向けの雑誌が何種類もありよく売れていた。

原稿料も千円でいいとは言えなかったが、しかし250枚くらいのものを年に二、三回書かせて貰えるし、すぐジュニア向けの文庫本になり、かなり売れて助かっていた。

小説を書く仲間もやっと出来、丸川賀代子の丸、高橋光子の高、森万紀子の万、山崎柳子の柳をとって「丸高万柳」といわれていた。

命名者は森万紀子さんで、森さんは私が文学界新人賞を受賞したとき佳作に入った人で、発表されると佳作のほうがいいという批評家も多く、大胆な性描写やどうにでもしてくれというような不貞腐れた主人公が批評家たちに高く評価されていた。

が、ご本人は「丸高万柳フォアクイーンズにしましょうよ」などと言って私や柳子さんを呆れさす幼稚というか、ミーハー的なところもあった。

丸川さんはこの文章の初めに書いた「巷のあんばい」で婦人公論新人賞を受賞した人である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました