「丸高万柳」(9)

エッセイ

その料理が目的で、ちょっとしたお年賀を持って毎年出かけていた。

柳子さんのほうはいろいろ話したくて来ただろうに、私は他人の内面に立ち入るような話は苦手で、「柳子さんもとうとう年貢の納めときか。尼さんになるとはね。お経を読んだり、お葬式をしたりするの?」としか言えなかった。

「尼さんじゃないよ。女のお坊さん」四十年も前のことだが、その頃から柳子さんは言葉遣いにはうるさかった。夕食の後私は泊まっていくように勧めたが、まだこれから回るところがあると帰っていった。

そのときを含めて僧侶になった柳子さんと会ったのは三回だけである。

二度目は丹羽文雄先生の誕生パーティーである。三鷹の駅近くにあった丹羽邸では夫人が料理家のせいもあって、お正月にはこれまでのお手伝いさんたちが全員集まり沢山の料理を作り、年始に来た人たちは先輩や知人と話しながら勝手にご馳走になるのだ。

私もその料理が目的で、ちょっとしたお年賀を持って毎年出かけていた。

が、今年は丹羽邸が改築し集まれなくなって、これまでのお礼をかねてホテルのホールで丹羽先生の誕生日のパーテーを開いたのである。

柳子さんも作務衣姿で来ていた。

帰り何人かで喫茶店に寄ったが、いつもなら「柳子、お金がない、誰か払って」というのに、「今日は柳子が払う」とさっと伝票を取り上げて、みんなを驚かせた。

「坊さんってそんなに儲かるものなの?」と呟いている人もいた。

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