「丸高万柳」(3)

エッセイ

ミンクのコート

四人の中でただ一人景気が良かったのは、週刊誌の事件物の連載を持っていた丸川さんだった。

その頃まだ海外へなど普通では行けなかったが、ソ連から招待された文筆家仲間に加わり彼女はソ連へ出かけた。

細かなことはもう覚えてないが、モスクワ空港に降り立って彼女がまず真っ先に駆け込んだのは、ミンクのコート売り場だった。

「寒さは覚悟していて、それなりの準備もしていたつもりだけど、想像もつかない寒さなのよ。ミンクのコートでなければ絶対にしのげない寒さなの」ということで、ソ連滞在中は重宝したが、日本では一度も着る機会がなかった。

それなのに延々とローンを支払い、ソ連旅行は高いものについたと嘆いていた。

丸川さんは当時の分類の仕方でいえば中間小説の出だから、週刊誌の仕事が来るが、純文学系のものにはそんな仕事は回ってこなかった。が、私は生活のために仕方なくジュニア小説を書いていた。

私にしてもそんなものは書きたくなかったし、私の周りにはその歳頃の少女は一人もいなかった。

自分の少女時代は戦争に明け暮れ参考にならなかった。だが、他に稼ぐ手段はなかったのである。

「お前さんは器用だからな。でも器用貧乏という言葉もあるからね」などと山崎さんに言われていた。

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