「丸高万柳」(17)

エッセイ

「筆一代」

私が日記代わりに使っている平成25年の「文化手帖」の表紙裏には「勢見山(眉山)の麓の観音寺」と、丸川さんのお墓の場所が記されている。

いつかお参りに行きたい思いがあったから、記したのである。妹の千加子が元気ならすぐにでも行きたかったが、妹は病気がちになり家族に勧められて運転免許証も返していた。汽車で徳島まで行くほかはないと思っていたが、機会は意外に早く巡ってきた。

翌平成26年の秋、私たち女学生が戦争中関わった「風船爆弾」を題材にした劇が、地元の劇団で公演されることになり、郷里の愛媛へ帰った。それを観にやはり東京から来た姪夫婦が、レンタカーを借りて徳島や高知を回るという。で、徳島まで乗せてもらって丸川さんのお墓参りをすることにした。

泊まっていた四国中央市のホテルを10時に出発、坂出の病院に入院中の妹を見舞い、徳島の札所一番の霊山寺に参り、観音寺を探しあてた。

しかし眉山の斜面を含む広い墓地である。途方に暮れていると、それまで留守だった住職の奥さんが帰ってきた。その方に尋ねると本堂のすぐ近くの道の曲がり角の、一番人目につくところにあった。

その時は写真を送ってもらってすでに見ていることなど忘れていて、「筆一代」か。大きく出たなと思った。しかしそれは妹さんや弟さんが、いかに丸川さんのことを誇りに思っているかの証でもあるのだった。

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