「丸高万柳」(16)

エッセイ

私は八十三歳で海外旅行は打ち切り、国内旅行にしていた。

 それに丸川さんは私より三歳若いのである。私は八十三歳で海外旅行は打ち切り、国内旅行にしていた。

国内旅行といっても北海道や沖縄、壱岐,対馬など結構遠くまで出かけ、まだまだ元気だった。

 丸川さんも元気でいてくれるものと思っていた。それなのに、平成25年(2013)の10月の末、埼玉県に住む妹さんから電話があり、10月24日に亡くなった報せを受けた。

私のメモ代わりの日記には「いよいよ寂しくなった」と一言記されている。

少し経ってから納骨の時の写真が送られてきた。私はお墓の立派さに驚いた。形のいい自然石に「筆一代」と刻まれている。

お墓のことなど何もわからない私は、亡くなってまだ間もないのにこういう石を見つけ刻字するのは大変だろう。生前から作ってあったのだろうかと思ったが、そんなはずはなかった。晩年は仕事もしてなかったからお墓を作るだけのお金はなかったはずである。

 丸川さんは長女ではなかったが、両親が病気で相次いで亡くなったとき、長女のお姉さんは他家へ嫁いでいた。

県庁に勤めていた丸川さんがまだ学生だった妹さんと二人の弟さんの面倒を見たのである。

妹さんや弟さんにしてみれば、何とかしてその恩返しをしたかったのだろう。「筆一代」の銘には、結婚もしなかった姉に対する気持ちが、にじみ出ているように私には思えた。

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