シナリオ研究生の頃(1)

エッセイ

月曜から金曜まで毎日授業

私は若い頃、シナリオライターを養成する学校のようなところに通ったことがある。映画全盛の頃で、筆記試験や面接もあったが落ちた人はいなかったのか、教室は満員の盛況であった。

が、そのうち毎日熱心に通っても、それだけではシナリオライターになれないことがわかったのか、出てこなくなる人が増え、顔を見せるのは男女合わせて30人くらいになった。   

月曜から金曜まで毎日授業があり、金曜日は「名画鑑賞」で初期の外国映画から系統立てて見せてくれ勉強になった。

「シナリオの構成」とか「せりふの書き方」などの講義もあったが、大抵はシナリオ作家たちが来て、今書いている作品や、過去の作品について話す。電車賃がなくてどこからどこまで歩いたなどという、売れない頃の苦労話も結構面白かった。

小さな商店の電話番のようなアルバイトしかしたことのなかった私にとっては、初めて映画や小説のことについて話せる仲間が出来たのである。

仲間といっても自然発生的なもので、シナリオ教室のある麻布霞町から都電で信濃町へ出る女性のグループである。私は四谷三丁目に住んでいてそこから歩いて帰れるし、他の人たちは電車で市川や立川、小金井へ帰るのである。で、いつも信濃町駅前の喫茶店で、ひとしきりおしゃべりをして帰るのである。

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