「丸高万柳」(15)

エッセイ

久しぶりに贅沢な気分を味わえたと喜んでくれた。

丸川さんが郷里の徳島へ帰ってから一度、坂出に住んでいる妹と車で徳島まで丸川さんを迎えに行き、妹が会員権を持っている鳴門のエクセルホテルに三人で泊ったことがある。

丸川さんは久しぶりに贅沢な気分を味わえたと喜んでくれた。

またそのうちにと思っていたが、その機会はなく日は過ぎていった。

私が年二回発行している「群青」は送っていた。丸川さんは読みたい本も簡単には手に入らないので、「群青」を隅から隅まで丁寧に読んでいると手紙をくれた。

私が「アイルランド紀行」を書いたとき、よくできた紀行文だがアイリシュダンスに一言も触れてないのはどういうわけかと書いてきた。

映画「タイタニック号」でディカプリオが踊るシーンにすっかり魅了されたとのことだった。

アイルランドのツアーでは、昼食はほとんどパールと言われるパブである。どこもアイリシュ音楽がかかっていて、ダンスに興じる人も多かった。

ただ音楽にもダンスにも興味のない私にはうるさいだけだったのだ。 

同じ四国生まれとはいえ、丸川さんは徳島生まれでやはり阿波踊りの血を受け継いでいて、音楽や踊りに血が騒ぎだすこともあったのだろう。

私はそういうことに関しては全くセンスがないとしか言いようがなかった。

手紙のやり取りはしていたし、その頃は私も郷里の愛媛へはよく帰っていた。会おうと思えばいつでも会える。そう思っていたのだ。

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