昔の高齢者たち

エッセイ

高齢者時代と騒がれている現代も顔負けの、高齢者たちの活躍ぶり

先日、本を読んでいて万葉集の「貧窮問答歌」などで名高い山上憶良が、筑前守として九州に赴任したのは六十七歳のときで、彼の歌はみなそれ以後のものだと知って驚いた。

「枕草紙」を書いた清少納言の父親の清原元輔が肥後守として赴任したのも七十八歳のときである。元輔はさすがに任期六年の後わずかというとき、八十四歳で現地で亡くなっている。調べれば高齢者のそういう例は他にもたくさんありそうである。

 交通不便なあの頃、八十歳近くなって九州まで下るのは並大抵のことではなく、さぞ大変だっただろう。

 高齢者時代と騒がれている現代も顔負けの、高齢者たちの活躍ぶりである。当時は高齢者福祉の制度などなかったから、歳をとっても働かざるをえなかったのだろう。子沢山で貧乏の憶良などは、大喜びで赴任して行ったに違いない。おかげで歌を作る余裕も出来、同僚の役人たちと宴を開き、歌を披露することも出来たのだ。

 後進に道を譲るとかで隠居制度が普及したのは、儒教のせいだろうか。儒教では親孝行が何より大切だから、親が無収入でも大事にしてもらえる。早々と隠居し、盆栽や俳句作りなどを楽しむことが出来る。  だが高齢者本人にとっては、社会と繋がって働いているのと、どちらが幸せか考えてしまうところである。

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