ほかの職業や生き方を選ぶには遅すぎた。
お互いに小説を書いていた頃、私たちはみんなお先真っ暗な生活をしていた。
小説家としてものになりそうでなかったし、ほかの職業や生き方を選ぶには遅すぎた。
将来は野垂れ死にの覚悟はあった。しかし一度もお金を稼いだことのない柳子さんよりはましだろうという、最後の慰めがあった。
「それなのにこんな立派なお墓を作ってもらって、恵まれすぎているよ」私はそんな思いでお墓の前に立っていた。
森万紀子さんが亡くなってから七年近く経っていた。
翌平成十二年四月発行の「群青」に載せた私の「山崎柳子さんのこと」は反響が大きかった。
「作家志望者の話として功成り遂げた人ではなく、こういう人のことを読みたかった」という感想が多く寄せられた。
一方、丸川賀代子さんは四谷三丁目に住んでいた。離れ家として建てた家で、大家の女性はお金には困らない人で、丸川さんを気に入っていたこともあって、家賃は一度も値上げされず信じられないほどの安さだった。
だからもうあまり仕事をしなくなっても住んでいたのだが、郷里の徳島で妹さん夫婦の家のすぐ前に介護施設が建ち、個室だし、今なら入れる、この機会を逃すと入れなくなると勧められ、郷里に帰ることにした。
丸川さん本人としては、都落ちのような気持ちだったらしい。
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