心に火をつける

エッセイ

的確な批評より、「心に火をつける」ほうが重要

 ずっと以前のことだが、東京新聞の「紙つぶて」というコラムに、名古屋大学教授・篠原久典氏が、アメリカの教育哲学者・ウイリアム・ワードの言葉を紹介しているのを読んだことがある。

「凡庸な教師はただ話す。良い教師は説明する。優れた教師は態度で示す。そして偉大な教師は心に火をつける」というのである。

 それを読んだとき、学校の先生たちがみんな生徒たちのやる気に火をつける先生であって欲しい。そうすれば子供たちがどんなに幸福だろうと思ったものだった。

 しかしこの言葉は、たんに教師といわれる人にあてた言葉だけではないだろう。「自分以外はすべて師」という言葉もある。ということは自分も誰かの教師になることもあるのだ。

 ことに私のように同人誌の編集をしたり、若い人の原稿を読む機会の多い者は、的確な批評より、「心に火をつける」ほうが重要なことを改めて気づかされた。

 小説のことだけではない。日常生活の中でさりげない言葉で、誰かの心に火をつけたり、わずかな明かりでもともせれば、どんなにしあわせなことだろう。その人の心の中に生き続けていけるのだから。

 それなのに私たちは往々にして、火をつけるどころか、水をぶっかけて、せっかくの火を消してしまうようなことをしているのではないかという気がする。

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