「石中の火、木中の花」

エッセイ

冬の寒さが厳しければ厳しいほど、桜の花は爛漫と咲く

 日蓮大聖人の御書に「石中の火・木中の花信じ難かれども、縁に値(あ)うて出生すれば之を信ず…」という言葉がある。

冷たい石も打てば火を放ち、「さくらはおもしろき物・木の中よりさきいづ」で、冬、葉を落とした桜の木を見て、その中に夥しい花が潜んでいようとは誰も思わないが、春になれば見事な花を咲かせる。

 このように外から見ただけではわからないが、人間の心の中にも財宝のような大切なものがあり、計り知れない可能性が秘められているという例えである。

 仏法ではそれを仏界というが、芸術家や作家の仕事も、自分の中に秘められた可能性を最大限に発揮して、作品を作ることではないだろうか。

 そうはいってもそれがなかなか難しい。第一、自分の中にどんな可能性があるか、目に見えないからわからないのだ。

だが「縁に値うて」の言葉の通り、自分が持ち続けていたテーマが、縁である素材とぴったり一致したとき、自分でも思いがけない作品になることがある。

 いつもそうとは限らない。自分の才能のなさに絶望するときのほうが多いが、そういうときも、自身の中の「石中の火、木中の花」を信じてひたすら耐えていくことである。  冬の寒さが厳しければ厳しいほど、桜の花は爛漫と咲くといわれている

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