パソコンとのお付き合い

エッセイ

いまだに得体の知れないもの

パソコンを使い始めてもう二〇年以上になるが、その最初の頃、二〇〇一年四月、私はこんな文章を書いている。

『昨年九月からパソコンを使っているが、私のように長い文章を書く者にとっては、ワープロのほうが操作も簡単で、気心が知れているという安心感がある。

 私の勘では、使い慣れたとしても、パソコンは気心の知れた存在にはならないのではないかと思う。第一パソコンは底知れぬ能力を秘めていて、私がどんなに頑張っても全部は理解できない。得体のしれない物の表面だけ撫で擦って付き合っている感じである。

第二に互いの言語が違うのでコミュニーケーションが取れない。パソコンに使われている言葉は、私にとっては宇宙人と話すようなものである。

第三にルールを一方的に押し付けてくるので、それが厳密であればあるほど、気まぐれとしか思えない。突然「不正使用」とか「強制終了」などと言われてぎょっとする。今のところは言葉も通じない気難しい主人に仕えているか、気心のしれないお手伝いさんを雇って、いつ気まぐれを起こされるか、心配しながら使わせてもらっている感じである』

 最初は「富士通」、次は「ソニー」今は「ダイナブック」と三台目だが、私にとっては残念ながらいまだに得体の知れないもので、気難しいご主人さまであり、気心の知れないお手伝いさんである。

タイトルとURLをコピーしました